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四十歳の頃、最も体力もあり判断力もあり日々それなりに充実していた。その頃は会社勤めをしていて自ら何かを起こすことはせず、恵まれた中でのほほんとしていたんだと今気がつく。そこから20年なんて本当にあっという間に過ぎてゆく。なぜあの時に六十歳を過ぎて体のあちこちに不具合が生じ親はいなくなるものだという事にリアルに感じ備える事を放棄していたんだろう。
いつからかボタンの掛け違いをしていた様なーーそしてそれはもう遥か昔の幼少期だったのでは?と感じることがある。
ありませんか?何かこう居心地が悪いような、芥川龍之介曰くの「ぼんやりとした安。」か。
それが夢となって現れてくる。でもってコラージュ作品に現れてくる。
大概、描くよりコラージュに入り込んでいる時の自分はそんな状態が多い。
満足できるものが仕上がると落ち着く。その繰り返しだった。
最近、絵を描いているほうが多くなった。私としては良い兆候なのだが。
私はなぜか、楽天的で大胆な人生を楽しんで生きている様に見える様だが実はネズミより情けない心臓なのです。小さい小さい。。。などどぼやきつつも、障がい者となった今でもこうしてられるのはものすごい強運の持ち主なのよ。と言い聞かせるのってやっぱり楽天的?
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